家康視点多し。
特に記述が無ければ、関ヶ原になります。他武将も登場する場合には割合が多ければ記述。
関ヶ原、主に家三で小説、たまに絵。史実ネタとその逸話からの独自解釈、捏造改変など混ぜてたり。
基本はゲーム設定に色付け。男前が目標。シリアスで戦国設定濃い目。転生、現代あり。
合戦描写が好きな管理人です。



異教の鐘の音

   <精華>散りぬる桜
「三成様、文でございます」

「ああ」

ぱら、と文を開く。

『三成殿、お加減は如何か。
さて、此度は、私の地へとお誘いをしたい。
近頃は加藤殿との事もある故、何卒治部殿と折り入って話をしたい』

これは、何かあるな。

「誰か、馬を寄越せ。今から出かける」

引かれてきた馬に乗って三成は即刻城を出た。

手紙の差出人は、小西行長。三成と同じく豊臣傘下の武将である。行長は三成の数少ない信頼のおける人物である。

行長は平時は三成の事を治部とは呼ばない為、内密の話がある際には多くを聞かずとも三成は直ぐ様駆け付ける事にしたのだ。

行長が言う加藤とは、同じく豊臣傘下の加藤清正である。清正は三成よりも古参の臣下ではあるが清正は年下の三成を快く思っておらず何かと小言を言って来ている。三成は自らの評価など気にも留めないので清正は更に腹を立てているのだが三成には何の事か理解が出来なかった。

行長と三成は生い立ちが似ており、また清正と三成が対立している事からも自然行長は三成に少なからず三成の力になりたいと思っていた。

先日秀吉から切支丹殲滅の命を受けた三成に対して大名とはいえども切支丹である者は畏怖した。行長の切支丹の1人だったからだ。

だが三成には個人的には切支丹に対する恨みも何もなく、三成は秀吉からの命を受けても極僅かな処罰しか実行していなかった。あれだけ普段から秀吉様秀吉様とうわ言の様に呟いて心酔している三成ではあったが、その秤を違える事のない三成にこちらの方が心底惚れてしまったと行長は言わざるを得ないだろう。

三成にとってみれば、悪態を付く事もなく一心不乱に豊臣の為に尽くしている者を処罰する謂れは無い、私は何も見ていないし知らないと平然と言ってのけ、秀吉への報告すらもしなかった。

恩を着せる様な輩をごまんと見てきた行長は三成の無欲さに心打たれた。

本来であれば行長自身が赴きたい所ではあるが、対立している清正との兼ね合いもあり領地を離れる事が出来ない。また、万一よろしくない事が起こった際でも大坂から離れているこの地で解決する事が望ましい為行長は三成を呼ぶ事にした。

三成は三成で文官としての才能がある為、諸氏の情勢もいくらか把握している。確か行長と清正は領地が隣同士である。しかも、清正と行長の信仰している宗教が真逆だ。性格も異なる為常に領土の事でも諍いが起きていると刑部からも耳にしていた三成は行長からの文に清正と治部という単語に察して馬を走らせるに至る。

同じく秀吉様から領地を賜った者同士での諍いは愚か、とも思えるのだが、だが清正の豊臣そのものから反発する様な態度が許せない。豊臣へ謀反を起こすようであれば処断せねばならない。潰すのであれば大坂から離れた土地であれば秀吉様のお手を煩わせる事もないと思った三成は馬を急がせる。

途中で馬を乗り換えて二日で行長の領土へと辿り着く。行長が熱心な切支丹である事から行長の領土にいる民は自然切支丹の者が多い。

色とりどりの飾りで彩られた町並みは京都とも大坂とも江戸のいずれとも異なり、日本でいて日本ではないような不思議な感覚に囚われる。

そんな異国の様な町並みであろうとも三成の美しさは埋もれる事もなくむしろ一層際立って三成の存在を知らしめた。

伴天連の宣教師が三成の姿を見て止まる。

「ミツナリさん、コンニチハ」

片言の日本語で三成に挨拶をする。

「・・・元気か」

人見知りもする三成にしては珍しい事だ。三成曰、海の向こうから命を賭してやってきて、日ノ本の言葉を懸命に覚えた者に罪は無いと。豊臣の者に危害が無ければ問題ないと。

「行長を見なかったか」

「ユキナガさまなら、お屋敷の方にいらっしゃいマシタ」

「そうか。礼を言う」

三成は会釈をして行長の屋敷へと向かった。

「行長は居るか」

三成は行長の屋敷の門前にいる女中に声をかけた。

「三成様、遠くよりようこそおいで下さいました。お呼びして参りますので少しお待ちを」

「いやいい、私が行く」

三成は敷居を跨ぐ。

「おお三成殿!よお来て下さった」

「貴様が文を寄越したからな」

締め切った居間で三成は行長と対面した。
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